雨宮まみ著:女子をこじらせて を読んでみた

先日読んだ能町みね子の「結婚の奴」で雨宮まみという人の存在を初めて知った。「グータンヌーボの章」で、女性ライターの枠にひとくくりに入れられると少々居心地が悪いものの、雨宮まみについては同業者と感じたと書かれていた。

残念ながらこの方は2016年に亡くなっていたが、雨宮まみについて強い思いを持って書かれていた。この方はご本人の自宅にて事故で亡くなったようなのだが、他の章では冷静な能町みね子が雨宮まみの死に対し、悲しみではなく苛立ちを持って対峙していた。興味が湧き、早速Kindleで2011年に出版された著書「女子をこじらせて」をダウンロードした。

数年前から「こじらせ女子」というワードがネット上に飛び交っていることはなんとなく知っていた。しかし、同世代の女性AVライターの著書から派生した言葉とは知らなかった。

読むほどに作者の闇に触れ、またしても私の心臓はちくちくしてしまった。共感できる部分が多すぎるのだ。女子としてのクオリティの低さを見て見ぬふりをしていたあの日。過剰なまでに卑下し「そんなことないよ」という言葉を待つ自分のさもしさ。能町みね子の言葉を借りて言えば、「全然違うふるさとの話をしているのに思い出がどこかで重なっている」のだ。

私は著者のようにバニーガールとして働いたことも無いし、AVに造詣も深くないし、友人の恋人と枕を交わしたことも無い。しかし、劣等感の元になるものはさほど変わらないのかもしれない。

私は今や死語となってしまったサブカルをこじらせ、女子をこじらせ、何者でも無い自分に対し劣等感を増幅させ、自分探しの旅先で道に迷ったままでいる。これは典型的な中二病の症状だろう。中二病を完治させることなどとっくに諦め、この病とはおそらく一生の付き合いになるだろうと私は腹をくくっている。

こじらせ上等! 

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