ぞろぞろ

落語教室の発表会のトリ(一番最後)で桂文雀師匠がされた演目についてご紹介します。

ぞろぞろは古典落語

古典落語とは(落語の種類)

元々は上方落語(かみがたらくご/大阪・京都で主に演じられる落語)として作られ、その後、江戸落語となった演目です。

あらすじ

茶店の老夫婦

稲荷神社の茶店に老夫婦がいました。古くからある参道沿いに店はあるのですが、近くに新しい参道ができたせいか、客様も少なくなり、生活に困窮した夫婦はお稲荷様にお参りに行き、商売繁盛のお祈りをしました。

1足のわらじ

ある雨の日、茶店に客が来て、お茶を注文したあと、ぬかるんだ道で足が汚れるのは嫌だと天井から1足だけぶら下がったわらじを買います。

わらじが次から次に…

その客が店を出ると、新たに客がやってきて、わらじを1足求めます。老夫婦は最後の1足が売れてしまって何も売る事ができないと伝えますが、天井から1足ぶら下がっているわらじがあると言い、老夫婦は驚くものの、そのわらじ1足を売り代金をもらいます。おかしなことがあるものだと老夫婦が思っていると、さらに客がやってきて、やはりわらじを買い求めます。今度こそ「売り切りれました」と伝えると、先ほどの客と同じように、「天井からぶら下がっている」と言うではありませんか。1足わらじを売るたびに天井からぞろぞろとわらじが下りてくるのでした。

床屋の主人

お稲荷様のご利益であると老夫婦が喜んでいるところへ、近所の床屋がこの話を聞きつけます。床屋の主人も早速お稲荷様へお参りして、茶店の老夫婦のようにして欲しいと祈ります。

お稲荷様のご利益?

床屋の主人が店へ戻ると店の前が客であふれかえっています。早速ご利益があったと喜び、人をかき分け店へ入り、客のひげをカミソリで剃ると、剃ったひげがまたぞろぞろと生えてくるのでした。

素人落語会

落語家が教える落語教室

都内にはプロの落語家が落語を教えている教室がいくつもあります。先日は桂文雀師匠が教えている落語教室の発表会が行われました。

木戸銭は無料!

入場料である木戸銭は無料で両国亭で開催されました。両国亭は円楽一門会の寄席が主に行われています。

素人ながらも満席に

一人持ち時間15分で高座に上がり、女性の生徒さんも数多く高座に上がっていました。一時はお客様が沢山お見えになり、満席となる一幕もありました。

演目がかぶることも…

通常の寄席では別の落語家が同じ演目を寄席で行うのはご法度ですが、生徒の数が多く、演目がかぶることもありましたが、そこは素人ですのでご愛嬌。

トリは文雀師匠

落語教室の生徒さんの発表会ですので、色物が挟まれず、長丁場でしたが、最後のトリは文雀師匠が高座に上がられ、盛り上げてくれました。この日の演目は「ぞろぞろ」でした。

無料の素人寄席は週末の昼間

両国亭では週末の昼間によく無料の素人寄席が開催されているので、是非、足を運んでみてください。

落語家の階級

階級制度

落語家には階級があり、寄席で一番最後のトリを務めるというような場合は、相応の実力が必要となります。漫画の主人公、島耕作が課長から会長に昇進した程は多くありませんが、落語家も呼び名も変わります。下から

・前座(ぜんざ)

・二ツ目(ふたつめ)

・真打ち(しんうち)

となっています。

前座

演目が終わり、落語家が高座を降りた後に、めくり(落語家の名前が書かれた紙)をめくったり、座布団を裏返したりといった雑用をしたり、開口一番(かいこういちばん:その日の高座の最初の落語)をすることもあります。

二ツ目

前座を経た後、二ツ目となります。前座は羽織を着るのは許されませんが、二ツ目からは羽織を着て高座に上がることが許されています。前座がする雑用もしなくてよくなります。開口一番の次に高座に上がる、つまり2番目に上がることから「二ツ目」と呼ばれるようになったようです。

真打ち

「師匠」と呼ばれ、弟子を取ったり、お声が掛れば、落語会や寄席のトリを務めることが出来るようにもなります。

真打ちの由来

真打と呼ばれるようになった理由は諸説あるそうですが、その昔、江戸・明治時代の寄席では最後の出演者が寄席の照明であるロウソクを消さなければならず、ロウソクの芯を打っていた(=火を消していた)ことから、「芯打ち」となり、字を変えた「真打ち」となった、とも言われているそうです。

落語の種類

古典落語とは

落語と言えば、設定が長屋の住民、お侍が登場します。このような設定の落語は古典落語が多く、江戸時代~大正時代に作られた落語を一般的に古典落語と呼んでいます。

新作落語もある

対して、現代の設定の落語は「新作落語」や「創作落語」と呼びます。

寄席の演目

寄席では同じ演目を違う落語家が演じることはご法度となっているので、出演者は全員、異なる演目を演じます。

マクラ

落語の演目が始まる前に落語家が高座でするおしゃべりを「マクラ」と言います。落語を演じずに、マクラだけで高座を降りる落語家もいます。柳家小三治師匠は実際に演目が始まるまでのマクラが非常に面白く、その面白さはYoutubeでもご覧いただけます。

新宿末廣亭に行ってみた

新宿末廣亭ってどこ?

末廣亭は新宿の末広通りと呼ばれる飲食店が立ち並ぶところにあります。東京メトロ丸の内線と副都心線の「新宿三丁目」の駅、C3出口から左に曲がるとあります。

寄席の入り方

入口に「入場券売場」とあるので、こちらでチケットを購入します。ちなみに、寄席ではお代金のことを「木戸銭(きどせん)」と呼びます。

席は自由席

場内は高座と呼ばれるステージがあり、高座正面に椅子席が117席、左右の端と2階は桟敷席(さじきせき)があり、桟敷席は畳の上に座布団が置かれているので、靴を脱いで上がります。また、場内には係の人がいるので、桟敷席が空いていれば、案内してくれます。

昼の部

昼の部と夜の部の2部制で、昼の部は12:00~16:30で、途中に中入り(なかいり)という、休憩時間が15分程あります。その間にお手洗いへ行ったり、喫煙室で喫煙したり、売店で軽食を買ったりして過ごします。場内での飲食はアルコールでなければOKとなっています。

夜の部

夜の部は17:00~21:00となっています。先日行った時は人間国宝・柳家小三治(やなぎやこさんじ)師匠が高座に上がられる日ということもあってか、満席でした。

1月15日の出演者

・柳亭市楽(りゅうていいちらく/落語)

・笑組(えぐみ/漫才・南京玉すだれ)

・桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ/落語)

・初音家左橋(はつねやさきょう/落語)

・林家しん平(はやしやしんぺい/落語)

・江戸家子猫(えどやこねこ/物まね)

・柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう/落語)

・柳家小袁治(やなぎやこえんじ/落語)

・すず風 にゃん小・金魚(すずかぜ にゃんこ・きんぎょ/漫才)

・柳家権太楼(やなぎやごんたろう/落語)

・柳家小満ん(やなぎやこまん/落語)

中入り

・寿獅子(獅子舞)

・柳家小三治(やなぎやこさんじ/落語)

・桂南喬(かつらなんきょう/落語)

・春風亭一朝(しゅんぷうていいっちょう/落語)

・柳家さん喬(なやぎやさんきょう/落語)

・林家正楽(はやしやしょうらく/紙切り)

・柳亭市馬(りゅうていいちば/落語)

落語ばかりではない

上記の出演順を見てわかるように、落語の合間に漫才やものまねが入っています。4時間も落語ばかり聞いていると疲れてしまうので、緩急をつける意味で色物(いろもの)と呼ばれる漫才やものまねが入ります。一月は正月興行ということもあり、獅子舞もありました。皆さまも是非一度、寄席で名人芸をご堪能ください。

落語って何?

笑点と落語

落語が好き、というとテレビ番組の「笑点」ね、と言われることがあります。笑点は落語家が出てきて大喜利をしていますが、落語を演じているわけではありません。落語とは舞台(=高座)の上で落語家が演目(=落語)を演じることを言います。

どこで見れるの?

都内だと、落語をはじめとする、講談や漫才を演芸場の寄席で観る事ができます。

・新宿末廣亭

・浅草演芸ホール

・池袋演芸場

・国立演芸場

・鈴本演芸場

・お江戸日本橋亭

・両国亭

・黒門亭

・神田連雀亭 etc…

他にも落語を聴きながらお食事ができるお店「小料理屋 やきもち」があります。

誰の高座を聞けばよいのかわからない

ダイヤモンド・オンラインの記事(2016年)によると、800人の落語家がいるそうです。テレビに出るような有名な落語家は数名くらいしかいませんね。高座に上がるような落語家は何年も修行を積んでいます。寄席では多くの落語家が登場するので、知らない落語家の高座や演目でもはやり面白く聞けるようになっています。

行くタイミングがわからない

演芸場にもよるのですが、昼の部・夜の部で分かれていたり、夜のみだったりします。基本的には毎日寄席は開催されています。各演芸場にホームページがあるので、そちらで確認できます。基本的には演目と演目の間に入場できるようになっています。

無料の素人落語会

都内ですと素人落語会が両国亭などで開催されています。素人ですので、無料で開催されているので試しに足を運ばれては如何でしょうか。

ジョーカー

 去年の秋に公開された「ジョーカー」をキネカ大森まで観に行ってきた。大田区の大森駅は地方出身者を懐かしい気分にさせるような駅だと思う。都心までそう遠くないにも関わらず、洗練とは程遠い地域だ。どこかで観た風景だとしばらく考えていると、私の出身地、九州の地方都市にある駅周辺の感じと似ていると気が付いた。大森駅はもしかしたらこれから栄えていく地域かもしれないが、地方都市が今後繁栄することはおそらく無いだろう。思わず故郷と重ねてしまう街、それが大森だ。そんな街に、キネカ大森という素晴らしい映画館がある。

 本作品はホアキン・フェニックス演ずるアメリカンコミックの悪役キャラクター「ジョーカー」の誕生を描いた作品となっている。ジョーカーは元々、アーサー・フレックという精神疾患を抱えた冴えない道化師で、ケン・ローチ監督作品の主人公並みに踏んだり蹴ったりの報われない人生を送っていた。更に自分の精神疾患の原因に母親が大きく関わっていたことがわかり、現在も不幸なら過去も不幸やんけ!な人生が露見。しかし、そこはアメコミの悪役キャラクターなので、アメリカ人なら誰でも持っているお役立ちアイテム・拳銃で人を殺めたのをきっかけに、アーサーの奇行が暴走していくという話だった。既にケン・ローチ作品で不幸な主人公慣れをしてた身としては、ジョーカーとなるアーサーの不幸っぷりに同情はするものの、人を殺める程では無いな…と思うが、そこは精神疾患、という設定もあるので、「お、おう」という感想しかない。ただ、主人公が最後に登場したのは精神病院でのカウンセリングだったので、人を殺めたりしたのも全て彼の妄想であった、という可能性も大いにある。落語の演目にある「天狗裁き」の夢落ちも見事であるが、本作品も2時間にわたる壮大な妄想落ちであれば、突然のアーサーの残虐性にも納得できる。

 本作品で主人公を演じたホアキン・フェニックスであるが、昨年はガス・ヴァン・サント監督作品「ドント・ウォーリー」にて実在する漫画家の伝記映画で、事故により身体障害者となった主人公を演じ、作品も、ホアキン・フェニックスも大変素晴らしいものであった。ホアキン・フェニックスはコンスタントに映画に主演しており、「ドント・ウォーリー」の前は2014年「インヒアレント・ヴァイス」、2013年「Her」、2012年「マスター」を観たが、本当によい作品にばかり出ている。1995年に「誘う女」で主人公の嫌な女、ニコール・キッドマンに弄ばれるナイーブな青年を演じてからもう25年も経つのかと思うと感慨深いものがある。

宮本から君へ

 東京という都市のよいところは、見逃していた映画作品を思いがけず映画館で観る事が出来るというところだと思う。明日、1月9日まで角川シネマ有楽町で公開中の「宮本から君へ」を観に行ってきた。有楽町界隈はよく行くが、ビックカメラの上に映画館があるとは今回まで知らなかった。

 本作でヒロインを演じる蒼井優を初めてスクリーンで観たのは2008年公開「100万円と苦虫女」だった。ちっとも笑わないヒロインで、いつも困ったような、つまらなさそうな表情をしていた役であったのにも関わらず、とにかく可愛いかった。その後、彼女の活躍はなんとなく知っていたが、なんとなく映画作品を見逃してしまっていたので、11年ぶりに観た蒼井優が生々しい濡れ場OKの女優になるとは思ってなかった。アイドル女優で終わらずによかったと思う。主人公「宮本」を演じるのは池松壮亮で、2016年公開の「セトウツミ」では勉強のできるの高校生役に全く違和感が無かった。

 「100万円と苦虫女」も「セトウツミ」も割と低めのトーンで話が進む作品でコメディタッチの作品であったが、本作は性描写あり、暴力描写あり、主人公は血まみれになるわ、主人公の恋人はレイプされるわ、泣いたりわめいたりと主演の二人の怒りと悲しみのハードモードで起伏の激しい作品であった。そして、この作品の映像はちっとも美しくないのだ。怒りで歯を食いしばったり、鼻水を垂らしたり、精液が足を伝って滴ってきたりと、性と生が生々しく入り乱れる作品なのだ。観ているこちらも力が入ってしまい、映画を観終わった後はぐったりしてしまった。

 映画の示す時系列もまた独特であった。回想シーンでも無いのに、過去と現在が行きつ戻りつするのであるが、それが巧みなのだ。薬物スキャンダルで話題のピエール瀧も主人公の強面の取引先、という役どころで出ていた。本職が役者で無いにも関わらず、怖い顔をした体育会系のスーツのおじさん役がピッタリだった。薬物が抜けたら是非、復帰して欲しいと思う。

 こういう骨のある作品を映画館の大きなスクリーンで観ることが出来て幸せであった。

浅草演芸ホール

 昨年に引き続き、2020年の初笑いを浅草演芸ホールで済ませた。正月は顔見世興行ということもあり、演目をじっくりと聴くことは出来なかったが、各出演者の持ち時間10分に満たない中、古典落語の一節のみをかいつまんで、短い中で笑いを取る噺家の姿は大変勉強になるところがあった。午前9時から始まる一部から四部まであり、私は4時からの三部の最後、昭和こいる師匠から入場した。

 本来であれば昭和のいる・こいる師匠とのコンビであるが、ご病気とのことでピンでの登場であるが、のっけから、「元旦から天気がよくてねぇ、でもね、さっきね、雨がぽつぽつとね…」と話し出すと会場がどよめいた。さっきまで本当に快晴だったからだ。即座に「あぁ、嘘なんですけどね」と言って笑いをさらっていった。予想だにしないバカバカしさに思わず笑ってしまうのは、ベテランの成せる技といったところか。その後は芸とも言えない芸を林家ペーから見せられるという謎の時間があったり、主任の器では無いにも関わらず、林家三平の息子というだけで主任となっているであろう林家正蔵の去年と全く同じネタの枕と大して面白くも無い「竜馬が行く」を題材とした彼のオリジナル演目を押し付けられるという苦行があったものの、人気落語家、春風亭一之輔による団子のくだりのみの「初天神」は短いながらも大変面白かった。見せ方の上手さとは大切だ。

 今回、私は柳家小三治師匠が高座に上がる第四部を楽しみに来た。何しろ去年の小三治師匠の面白さに大層感銘を受けたからだった。しかし、今回は違った。客席からの「待ってました」の掛け声も空しく全然知らないお歌を歌ってお帰りになられただけで終わってしまった。大変残念ではあるが、仕方ない。師匠ももう80歳だ。近いうちに真骨頂を拝聴したく、末廣亭あたりに行こうと思う。今回は、人気があるのは知っていたが、実際に聴くのは初めての師匠方も何人かいらして、人気噺家である柳家喬太郎師匠を拝聴できたのは収穫であった。次は是非、古典落語で高座に上がったところを拝聴しようと思った。第四部の主任を務める程の実力、柳家さん喬師匠による「天狗裁き」は正月らしい初夢について枕とされ演目へ入り、三部とは違って流石の一言であった。

テッド・バンディ

 年末の映画納めはヒューマントラストシネマ有楽町で公開中の「家族を想うとき」であり、明日は我が身…と身につまされる、貧しさの断片を描いた素晴らしい作品であった。2020年の映画始めはシネマシャンテ有楽町で公開中のアメリカに実在したシリアルキラー「テッド・バンディ」であった。

 私がテッド・バンディを知ったのは12年前の2008年だ。若松孝二監督の名作「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」にて、1972年に連合赤軍が起こした企業の保養所「あさま山荘」にて人質を取り立てこもった事件について知った。連合赤軍が最後に起こした事件が「あさま山荘」の立てこもり事件であったが、あさま山荘へたどり着くまでに彼らのアジトにて行われたリンチ殺人に焦点を当てた作品であった。この作品により、あさま山荘事件が発生する過程に18名の連合赤軍は「自己批判」や「総括」の名の下、リンチにより8名の死者が3か月あまりの期間で出たことを知った。陰惨な事件があるものだと戦慄したわけだが、「山岳ベース事件」あるいは「連合赤軍総括リンチ事件」と呼ばれるこの事件を調べるうちに、世界中の有名な殺人事件について項目ごとに丁寧にまとめられている素晴らしい個人サイト「+MONSTERS+」の存在を知った。例えば、この連合赤軍の事件については「リンチ殺人」の項目の中に入っており、「昭和残酷史」の項目からも当記事へのページにリンクが飛ぶようになっていた。「カニバリズム」やら「脳障害」やらどれからクリックすればよいのか迷うようなタイトルが並ぶ中、このサイトの一番最初の項目である「MONSTERS」の5番目に配置されていたのが異色の男前殺人鬼「テッド・バンディ」であった。このサイトの素晴らしい部分は、殺人事件そのものだけではなく、殺人鬼の幼少期からの家庭環境、図らずも怪物を世に送り出すことに深く関わる家族の生い立ちまでを詳らかに説明しているところである。かくして私生児として生を受け、それを憂いた祖父母に母親を姉と教えられ、差別主義者の祖父母を両親と思いこまされ育ったテッド・バンディを知った私は2020年に本作品を鑑賞することとなった。

 「テッド・バンディ」の作品だが、本作品は彼が殺めなかった彼の恋人、リズが書いた手記が原案となっており、リズとの出会いから彼の死刑判決までの割と短めの期間について、大半がリズ視点で描かれており、よって、彼のロマンチストでモテ男振り、殺人鬼と思いながら交際を続けるリズの葛藤について知る事が出来る作品であった。そんなわけで、その後、テッドの標的となるような女性、黒髪・ストレート・ロングヘア、清楚で知的、といった被害者像についての描写などは無く、またそのような女性を狙うこととなった経過についても当然何も表されてなかった。ただ、本作のヒロインについては「+MONSTERS+」には記載がなかったが、ウィキペディアでは調べることが出来る。全米を震撼させた殺人鬼が恋焦がれる一面や、刑務所に拘留されていても性行為により女性を妊娠させることが可能である、というのは新しい発見であった。