初天神のポイントは以下であると考えられる。
初天神の舞台
①自宅にて
「初天神」は、まずは自宅にて夫婦の会話から始まり、そこに息子が加わる。
自宅:夫婦の会話(新しい羽織をこしらえたから着たいのでは?)
自宅:息子と父の会話(新しい羽織をこしらえたから着たいのでは?)
息子が妻と同じことを言っている事の妙がよいのだ。
初天神へ連れて行くこととなるが、言う事を聞かないとお仕置きに川へ放り込むと息子を脅すが、その脅しに屈しない息子。
自宅では、偉そうにしている夫であるが、新しい羽織を着たいんだろ、と妻にからかわれ、息子にからかわれ、お仕置きについても結局は息子にやりこめられてしまう、人のよい、愛すべき父なのだ。妻は妻で、夫をからかいつつ、ちゃんと羽織は取ってきて、結構よい妻であると考えられる。
②天神様への道中
息子の「いい子」先制攻撃に「駄々をこねないという約束」にて善戦する父。
このくだりも、自宅にて妻との会話の中で、駄々をこねるから嫌だと伏線が張られていた。息子との過去のやりとりを詳細に説明しており、ここで回収している。
③団子屋にて
息子に屈し、団子を買う事になった父。あんこと蜜は蜜がべたべたすると着物が汚れると団子屋に説明しあんこを頼むが、息子は蜜がいいと駄々をこねる。
蜜でベタベタにしないようにと、団子を受け取った父は蜜を舐めあげた後、息子に渡し、団子の意味がなくなってしまう。
この父親の見当違いの優しさ、その見当違いの優しさを素直に否定する息子の妙がよい。
団子屋を言いくるめ、蜜の入った壺に二度漬けする父。
蜜がたっぷりとついた団子を受け取り、行き過ぎた父の行動力に感心した息子は、父の真似をして団子を舐めまわした挙句、蜜の入った壺に再度団子を入れようと試みるも、親子を追い出す団子屋のまともさ。いい話だ。
④団子屋を後にして
飴屋のくだりもあるが、尺が長いので、私は割愛した。ほぼほぼ団子屋と同じようなやりとりが店の主人と親子の間で繰り広げられる。
⑤凧屋にて
息子は凧屋をみつけ、凧が欲しいと言いす。ここも団子屋と似たようなくだりだが、すでに駄々は団子屋でこねており、ここでは割とあっさりと父は息子の要求に屈している。
ここで息子は店先の大きな凧を欲しがるが、父親は「あれは店の看板だから」と他の凧(おそらく小さめの凧)を買うように促すが、店主はあっさり「売り物ですよ」と言い、大きな凧を買う羽目になる。
また、凧屋が息子に父親へのおねだり方法を伝授しているのであるが、そのおねだり方法が、道端にできた水たまりに背中をつけ、手足をバタバタさせて「おとっつあん、凧買って~」という手法で、その勝算については不明である。
⑥広場で凧あげ
凧を買った後、天神様のお参りへと急ぐが、息子は凧あげをしたいと言い出す。
しょうがない、付き合うよと凧あげすることに。凧を持たせ、遠くに行くようにと父親は息子に指示を出す。それに従う息子。
遊びにもかかわらず、本気度の高い父親は真剣に凧あげを決行。
そして、凧の紐を息子になかなか渡さない。
しびれを切らした息子が「おとっつあんなか連れてこなきゃよかった」
元々は嫌がる父親に連れて行ってくれとせがんだのは息子であるし、団子や凧を買ってもらったのも彼の手柄である。
しかし、最後は凧あげしたいと言い出した息子であるが、最終的に遊んでいるのは父親だ。息子に負かされっぱなしの父の最後の勝利なのである。