7月1日からスーパーで買い物をしたときに無料で配布されていたレジ袋が廃止となり、有料で販売されることとなった。都内では7月5日の東京都知事選挙に向けて22人が立候補し、都内で応援合戦を繰り返していた。
現職である小池百合子は選挙活動することなく、コロナ自粛の指揮を執るという名目の下、パチンコ店への名指しの糾弾、ロックダウン、ワイズペンディング等々の聞き慣れない横文字を並べ立て、正々堂々とメディア出続けた挙句、再選した。
私の自宅近くにはオリンピック選手村として建てられた立派なビル群がある。真新しいにもかかわらず既に廃墟の様相というパラドックスの手本のような建造物だ。何処かで見たような景色だなと思い出したのは、2002年に公開された「戦場のピアニスト」であった。
エイドリアン・ブロディ演じる主人公が、戦闘が終わり潜んでいた家から外に出てみると、人影など無い、がらんとした建物だけが左右に並んだ無機質な廃墟が立ち並ぶ光景が目の前に広がっていた。晴海のオリンピック選手村では戦闘こそ起こって無いが、人影がなく、等間隔で並ぶ建物は、巨大な映画セットと言われても信じてしまいそうな虚無感がある。この虚無感は小池百合子とよく似ていると思う。
折しも、彼女の半生が綴られた石井妙子著の「女帝」という作品が文芸春秋社から出版され、ベストセラーとなり、あちこちでレビューされた。作品は読んでないものの、小池百合子から感じていた気味の悪さを端的に解説したサムスン高橋の書評があり、腑に落ちた。
2016年、築地市場から豊洲の移転は彼女が都知事になる前から決まっていることだった。にも関わらず、意味の無い延期を決めた。その時から私は彼女が信用できない人間だと認識した。ウィキペディアによると、この延期で業者へ9億円の補償が行われたそうだ。
私は支持する政党など無いが、選挙には出来るだけ投票する善良な民だ。投票日当日に予定があれば期日前投票する程、善良だ。
今回は私が都民になって初めての都知事選挙で、都会の平和さに大変驚いた。私を驚かせたのは、後藤輝樹候補であった。私が彼に興味を持ったのは言論サイト「アゴラ」で取り上げられており、アゴラのフェロー宇佐美典也氏がツイッターで彼について言及していたからであった。
ツイッターから流れてくる評判はなかなかよいものであったし、彼のホームページ「後藤輝樹様オフィシャルサイト」で検索すれば表示される政策は、そう悪くない。一夫一妻制を改め、一妻多夫または一夫多妻、ベーシックインカムの導入、美容整形バウチャーの導入、NHKを国営放送に、等々。
そこで、家から割と近い銀座ブロッサムで投票日の前日に演説会を行うとのことだったので、行ってみた。
会場に行って早々、彼は選挙ポスターについて中央区の選挙管理委員会から連絡が入り、対応に追われているとかで、本人が登場するのは予定時刻を大幅に過ぎ、3時を回った頃だった。当初予想されていた本人登場時刻は2時30分であった。
紋付き袴で登場し、まずは客席も起立し国家斉唱。その後はYouTube動画でも見られる、小池百合子への表彰状を読み上げるという体裁での百合子批判。本人が意識しているかしていないかは不明だが、ビートたけしへのオマージュと取れないこともない。その後、紋付き袴をステージ上で脱ぎ、みすぼらしい黒いTシャツとジーンズ、汚れたスニーカーという出で立ちで政策について話し始めた。
そもそも私は多くの人の前に立つという事が前もってわかっているにも関わらず、汚らしい格好でやってくるという人を信用していない。自分の身の回りもきちんとできないのに、他の事が出来るとは考えにくい。
断っておくが、私はTシャツにジーンズという組み合わせが悪いと言っているのではない。Tシャツでもよいが、首元がくたびれたり色褪せたりしたTシャツでステージに上がるのはいただけない。そんな格好でステージに上がってよいのはバンドマンやラッパーぐらいだろう。
お金が無く、ポスターの画像はスマホの自撮りだろう。そこはいい。会場への案内もA4の紙に手書きだ。それもいい。しかしだ。私がこの選挙演説で感じたのは、高校生の文化祭感だった。奇をてらった俺。枠に収まらない俺。
凡庸なルックスの30代男性が全裸になり、性器の部分にモザイクをかけたセンスゼロの選挙ポスターの画像がツイッターで流れてきたのを見てウンザリしてしまった。ちなみに本人は大変気に入っているようで、この日もヌードポスターについては自画自賛であった。
都知事候補としては確かに異色だ。何しろ全裸ポスターだ。ただ、彼の奇抜さは手垢のついた奇抜さで、目新しいものが何一つ無い、凡庸な奇抜さ。決め台詞は「お前ら、愛してるぜ」。凡庸な奇抜さは安くて軽薄だ。
演説会の後は握手会と撮影会が行われ、会場に集まった男女が握手を求めて並んだ。いよいよ何がしたい人なのかがわからなくなった。
最後は彼の微妙な腕前の歌声を聴く羽目になった。自作の曲がこれまたノーセンスで詩も曲も酷いものであった。ひたすら自慰することについて何のひねりも無く繰り返し言及しているだけの歌であった。マスターベーションについて歌った、マスターベーションのような演説会であった。
彼のような凡庸なセンスの歌唱を聴くと、ゴッドタンの名物企画、「マジ歌選手権」がどれだけ素晴らしいかということを改めて思い知らされた。
唯一の救いはこの演説会に一人、まともな若い女性が来ていたことだ。彼女は後藤輝樹氏に政策について質問をした。まともな容姿の女性からまともな内容の質問をされたせいか、後藤輝樹氏本人が少々面食らい「記者の方ですか?」と確認していた程だ。この方はポスターに対する否定的な意見を率直に語られ、私もそれに大きく頷き、会場を後にしたのだった。
小池百合子の自己愛にも吐き気がするが、後藤輝樹の風変わりを装った凡庸さも1度経験すればそれ以上は必要ないと思う。
アーティストのろくでなし子さんが女性性器の3Dデータを所持していて逮捕される等の問題が過去に発生したが、2020年の日本は思想や言論の自由が案外守られており、平和な国だなと改めて思った都知事選挙であった。