雨宮まみ著:女子をこじらせて を読んでみた

先日読んだ能町みね子の「結婚の奴」で雨宮まみという人の存在を初めて知った。「グータンヌーボの章」で、女性ライターの枠にひとくくりに入れられると少々居心地が悪いものの、雨宮まみについては同業者と感じたと書かれていた。

残念ながらこの方は2016年に亡くなっていたが、雨宮まみについて強い思いを持って書かれていた。この方はご本人の自宅にて事故で亡くなったようなのだが、他の章では冷静な能町みね子が雨宮まみの死に対し、悲しみではなく苛立ちを持って対峙していた。興味が湧き、早速Kindleで2011年に出版された著書「女子をこじらせて」をダウンロードした。

数年前から「こじらせ女子」というワードがネット上に飛び交っていることはなんとなく知っていた。しかし、同世代の女性AVライターの著書から派生した言葉とは知らなかった。

読むほどに作者の闇に触れ、またしても私の心臓はちくちくしてしまった。共感できる部分が多すぎるのだ。女子としてのクオリティの低さを見て見ぬふりをしていたあの日。過剰なまでに卑下し「そんなことないよ」という言葉を待つ自分のさもしさ。能町みね子の言葉を借りて言えば、「全然違うふるさとの話をしているのに思い出がどこかで重なっている」のだ。

私は著者のようにバニーガールとして働いたことも無いし、AVに造詣も深くないし、友人の恋人と枕を交わしたことも無い。しかし、劣等感の元になるものはさほど変わらないのかもしれない。

私は今や死語となってしまったサブカルをこじらせ、女子をこじらせ、何者でも無い自分に対し劣等感を増幅させ、自分探しの旅先で道に迷ったままでいる。これは典型的な中二病の症状だろう。中二病を完治させることなどとっくに諦め、この病とはおそらく一生の付き合いになるだろうと私は腹をくくっている。

こじらせ上等! 

後藤輝樹の演説会に行ってみた

7月1日からスーパーで買い物をしたときに無料で配布されていたレジ袋が廃止となり、有料で販売されることとなった。都内では7月5日の東京都知事選挙に向けて22人が立候補し、都内で応援合戦を繰り返していた。

現職である小池百合子は選挙活動することなく、コロナ自粛の指揮を執るという名目の下、パチンコ店への名指しの糾弾、ロックダウン、ワイズペンディング等々の聞き慣れない横文字を並べ立て、正々堂々とメディア出続けた挙句、再選した。

私の自宅近くにはオリンピック選手村として建てられた立派なビル群がある。真新しいにもかかわらず既に廃墟の様相というパラドックスの手本のような建造物だ。何処かで見たような景色だなと思い出したのは、2002年に公開された「戦場のピアニスト」であった。

エイドリアン・ブロディ演じる主人公が、戦闘が終わり潜んでいた家から外に出てみると、人影など無い、がらんとした建物だけが左右に並んだ無機質な廃墟が立ち並ぶ光景が目の前に広がっていた。晴海のオリンピック選手村では戦闘こそ起こって無いが、人影がなく、等間隔で並ぶ建物は、巨大な映画セットと言われても信じてしまいそうな虚無感がある。この虚無感は小池百合子とよく似ていると思う。

折しも、彼女の半生が綴られた石井妙子著の「女帝」という作品が文芸春秋社から出版され、ベストセラーとなり、あちこちでレビューされた。作品は読んでないものの、小池百合子から感じていた気味の悪さを端的に解説したサムスン高橋の書評があり、腑に落ちた。

2016年、築地市場から豊洲の移転は彼女が都知事になる前から決まっていることだった。にも関わらず、意味の無い延期を決めた。その時から私は彼女が信用できない人間だと認識した。ウィキペディアによると、この延期で業者へ9億円の補償が行われたそうだ。

私は支持する政党など無いが、選挙には出来るだけ投票する善良な民だ。投票日当日に予定があれば期日前投票する程、善良だ。

今回は私が都民になって初めての都知事選挙で、都会の平和さに大変驚いた。私を驚かせたのは、後藤輝樹候補であった。私が彼に興味を持ったのは言論サイト「アゴラ」で取り上げられており、アゴラのフェロー宇佐美典也氏がツイッターで彼について言及していたからであった。

ツイッターから流れてくる評判はなかなかよいものであったし、彼のホームページ「後藤輝樹様オフィシャルサイト」で検索すれば表示される政策は、そう悪くない。一夫一妻制を改め、一妻多夫または一夫多妻、ベーシックインカムの導入、美容整形バウチャーの導入、NHKを国営放送に、等々。

そこで、家から割と近い銀座ブロッサムで投票日の前日に演説会を行うとのことだったので、行ってみた。

会場に行って早々、彼は選挙ポスターについて中央区の選挙管理委員会から連絡が入り、対応に追われているとかで、本人が登場するのは予定時刻を大幅に過ぎ、3時を回った頃だった。当初予想されていた本人登場時刻は2時30分であった。

紋付き袴で登場し、まずは客席も起立し国家斉唱。その後はYouTube動画でも見られる、小池百合子への表彰状を読み上げるという体裁での百合子批判。本人が意識しているかしていないかは不明だが、ビートたけしへのオマージュと取れないこともない。その後、紋付き袴をステージ上で脱ぎ、みすぼらしい黒いTシャツとジーンズ、汚れたスニーカーという出で立ちで政策について話し始めた。

そもそも私は多くの人の前に立つという事が前もってわかっているにも関わらず、汚らしい格好でやってくるという人を信用していない。自分の身の回りもきちんとできないのに、他の事が出来るとは考えにくい。

断っておくが、私はTシャツにジーンズという組み合わせが悪いと言っているのではない。Tシャツでもよいが、首元がくたびれたり色褪せたりしたTシャツでステージに上がるのはいただけない。そんな格好でステージに上がってよいのはバンドマンやラッパーぐらいだろう。

お金が無く、ポスターの画像はスマホの自撮りだろう。そこはいい。会場への案内もA4の紙に手書きだ。それもいい。しかしだ。私がこの選挙演説で感じたのは、高校生の文化祭感だった。奇をてらった俺。枠に収まらない俺。

凡庸なルックスの30代男性が全裸になり、性器の部分にモザイクをかけたセンスゼロの選挙ポスターの画像がツイッターで流れてきたのを見てウンザリしてしまった。ちなみに本人は大変気に入っているようで、この日もヌードポスターについては自画自賛であった。

都知事候補としては確かに異色だ。何しろ全裸ポスターだ。ただ、彼の奇抜さは手垢のついた奇抜さで、目新しいものが何一つ無い、凡庸な奇抜さ。決め台詞は「お前ら、愛してるぜ」。凡庸な奇抜さは安くて軽薄だ。

演説会の後は握手会と撮影会が行われ、会場に集まった男女が握手を求めて並んだ。いよいよ何がしたい人なのかがわからなくなった。

最後は彼の微妙な腕前の歌声を聴く羽目になった。自作の曲がこれまたノーセンスで詩も曲も酷いものであった。ひたすら自慰することについて何のひねりも無く繰り返し言及しているだけの歌であった。マスターベーションについて歌った、マスターベーションのような演説会であった。

彼のような凡庸なセンスの歌唱を聴くと、ゴッドタンの名物企画、「マジ歌選手権」がどれだけ素晴らしいかということを改めて思い知らされた。

唯一の救いはこの演説会に一人、まともな若い女性が来ていたことだ。彼女は後藤輝樹氏に政策について質問をした。まともな容姿の女性からまともな内容の質問をされたせいか、後藤輝樹氏本人が少々面食らい「記者の方ですか?」と確認していた程だ。この方はポスターに対する否定的な意見を率直に語られ、私もそれに大きく頷き、会場を後にしたのだった。

小池百合子の自己愛にも吐き気がするが、後藤輝樹の風変わりを装った凡庸さも1度経験すればそれ以上は必要ないと思う。

アーティストのろくでなし子さんが女性性器の3Dデータを所持していて逮捕される等の問題が過去に発生したが、2020年の日本は思想や言論の自由が案外守られており、平和な国だなと改めて思った都知事選挙であった。

本当に政治家を目指すならせめてこのくらいの計画性は欲しい。

能町みね子著:結婚の奴 を読んでみた

40代半ばで未だに結婚経験の無い私。2019年の調査によると、生涯未婚率は男性23.4%、女性14.1%だそうだ。この生涯未婚率というのは50歳までに1度も結婚したことが無い人のことなので、結婚したことの無い人というのは現代においてマイノリティらしい。

私は昔から子どもが欲しいという思いが希薄なせいか、結婚するとか、所帯を持つということがあまりピンとこなかった。加えて、異性から強く求められたことも無く、また、私が魅力を感じた異性は私に対してそれほど興味を持たないという具合で人生の大半を過ごしてしまい、恐らく私に恋愛は不向きなのであろうと少し前に結論を出したつもりであった。

もはや恋愛とは都市伝説とさえ思えるようになっていた。巷には恋愛話が数多く転がっているが、自身の身の上には何も起こらない。

指をくわえて待っているだけでそのような結論を出すのは時期尚早と思った私は、出会い系サイトに登録したし、お見合いパーティーへも参加した。それらを通じて積極的に異性と出会ったが、彼らとは瞬く間に疎遠になり、何も起こらなかったのである。何度か向かい合わせでコーヒーを飲み、話をしてみたものの、何も起こらない。自分の身の上には起こらない以上、恋愛は都市伝説だと思えばしっくりくる。

恋愛以外に楽しいこともあるだろうし、それもまた人生と開き直りつつ、東京に居を移し2年が経とうとしていた。

そこへ、新型コロナウィルス騒動が発生した。緊急事態宣言が発表され、あらゆる企業の活動自粛が奨励され、ステイホームの号令の下、人々は家に閉じこもざるを得なくなった。街はゴーストタウン宜しくシャッターが下り、人影が消え、ゾンビが歩いていても何ら不思議ではない様相と化した。

絶賛転職活動中であった私は職探しを中断せざるを得ず、好きな映画館や寄席にも行けず、狭い部屋の中で悶々と過ごす日々を送ることになり、死を強く意識した。

この場合の死とは、新型インフルエンザに疾患の末の死では無い。人は最終的には死を迎える。健康な人もそうでない人も、裕福な人もそうでない人も、美しい人もそうでない人も、例外無く必ず死ぬ。人生の終着点としての死を意識した。

私は誰にも触れられず、誰に触れることもなく、家の中で干からびて死んでいくのかと恐ろしくなった。この時、誰かと共に生きるということを意識した。恋愛は諦めた。でも、気心の知れた誰かと暮らすのもよいのではないか。そこで、この10年程、ごくたまに連絡を取っていた異性の友人に結婚を提案してみた。彼は驚きながらも、前向きに検討する、とのことだった。

そんなところに、この「結婚の奴」だ。

能町みね子の存在を知ったのは2005年頃だったと思う。

その頃、私は九州の田舎町で若さを消耗していた。

ネットサーフィンで時間をつぶす日々を送っており、お気に入りのサイトがいくつかできた。その中のひとつに「オカマだけどOLやってます」という個人ブログがあった。このブログを書いているブロガーその人が能町みね子であった。ブロガー本人が描いた自画像のイラストも可愛らしく、性同一性障害の男性が女性として働く日々が綴られた読み応えのあるブログであった。

その後、タイで性別適合手術を受け、晴れて女性となったのであるが、その頃は私も転職や家移りを繰り返す日々だったこともあり、以前程はネットサーフィン自体をしなくなっていった。※「オカマだけどOLやってます」は書籍化されている。

それから何年も経ち、そのサイトの事を忘れかけていたある日、週末の夜の番組「ヨルタモリ」に存在感のある金髪女性が出演していた。私にとっての2度目の能町みね子体験であった。

私が知らぬ間に著書を多数出版する人気作家となり、すっかり有名になっていた。それ以降、彼女は時折タモリ倶楽部に出演したり、彼女の名前のついた不定期番組に出演したりして、動く能町みね子を目にする機会が増えていた。

折しも時代はSNS。遅ればせながらアカウントを取得し、彼女のツイッターのフォローを開始したところ、くだんの著書が紹介されていた。

私は勝手に能町みね子は小説を書き始めたのだと思い込んでおり、フィクションとして読み進めていたのであるが、数ページ読んだ後、本当に彼女の身の上に起こったことを書いていると気が付いた。

本書は制度としての結婚を利用し、「恋愛感情の無い結婚」について綴っているものであった。

恋愛感情の介在しないことを双方合意の上での結婚への道のり。同居後も唇を重ねることなど皆無で進む結婚生活。

この「結婚」に大きく関わったであろう学生時代からライターとなってからの出来事がつぶさに描かれており、それらの出来事を読み進めるうちに思い出したことがあった。それは太宰治の小説を初めて読んだ時に感じた痛みだ。固くなったかさぶたを自分の爪でゆっくりと剥がしたが、傷口は癒えておらず、じゅくじゅくした皮膚があらわになったような鈍い痛み。

私は結婚を提案した相手と本当に結婚するのだろうか。もしかしたら、私たちは恋愛の後、結婚するのかもしれないし、結婚の後に恋愛するのかもしれない。恋愛にもならないし結婚にもならないかもしれない。とりあえず今は、どこまでできるのか、試してみようと思っている。

みんな、どうやって結婚したんだよ。それも2回も3回も。ズルい!

マッチングアプリを利用してみた⑤

結局、出会えたのか?

結論から言おう。

出会えたと言えば、出会えた。

それは、単に、「実際に出会うことが出来たが、恋愛には至らなかった」ということだ。

それについては追々説明したいと思う。

正直でいても、やはり精神は疲弊する

私は、自らの職業を偽りなく開示した。

後ろめたさは無い。しかし、やはり精神が疲弊していくのである。

知らない相手に対してのよくわからない気遣いを織り交ぜつつ、メッセージを作成する。

求職中の身の上を心配してくれるようなメッセージも頂いた。

中には、「婚活サイトで就活っすか」というようなメッセージも頂き、そりゃ、そう思うよな、と納得してしまった。

コロナ自粛の影響とはいえ、仕事はおろか、面接の日程さえも延期や保留となる心細い日々が続いていたところで、見ず知らずの男性から励ましのメッセージを頂き、それはもうありがたいという感謝しかない。

それでもだ。

私は登録4日程で疲れ切ってしまった。

そんなわけで2名とラインのIDを交換し、退会と相成った。

ラインIDを交換した2名であるが、1名は都内在住の男性で、もう1名は自称米軍基地に勤める医師であった。(この後、これは嘘であることが判明)

このラインID交換により、中々芳ばしい体験をすることができたのは、収穫であった。(と思うことにする)

⑥に続く

マッチングアプリを利用してみた④

無職女は需要があるのか?

2度目のマッチングアプリのプロフィールには、自分の身の上が求職中であると明示した。

私は自分の正直さに清々しさを覚え、悦に入っていた。

反面、流石に無職の女に興味のある男性などそうそういないだろうと思っていた。

しかしである。

男性からのメッセージが1通、また1通と届くではないか。

ありがたいことに50歳を目前とした無職の女でもマッチングアプリ界においては、需要がゼロでは無いことがわかった。

はじめは「お前ら、大丈夫か?」「気は確かか?」とパソコンに向かって一々ツッコんでいたが、意外な程メッセージが届くため姿勢を正し、ありがたく返信メッセージを送ることにした。

続かないメッセージのラリー

返信メッセージを作成している最中でも新しいメッセージが届くのに少々面食らったが、ひとまず興味を持ってくれた事への感謝を各メッセージに対して返信した。

こうしてメッセージのラリーが始まったのであるが、知らない人とメッセージの往復を続けるのはそれほど容易な事では無いと気づいた。

タメ口問題

まずは、見ず知らずの相手に対してタメ口でメッセージを送ってくる方々に面食らった。

そのフランクさ、アメリカ生活が長いのか!? などとツッコみつつ、こちらからは丁重な当たり障りの無い丁寧語で返す。

その返信にもやはりタメ口なのだ。

このような方と私の価値観は基本的な所で異なるような気もし、返信する気も失せてしまい、見なかったこと、いわゆる「既読スルー」として放置することになった。

日記風のメッセージ問題

夕食は自宅近くのスーパーでのり弁を買って食べてお腹いっぱい☆だの、今日は自転車で通勤しました☆だの、聞いても無い事を詳細に報告してくる方もいた。

既読感がある内容だと思っていたら、芸能人のどうでもよい日常が綴られたクソ面白くないブログそっくりであった。

もしかしたら、あの方々は芸能人であったのかもしれない。

このようなメッセージも読んで脱力してしまい、既読スルーすることになった。

初っ端からラインのID問題

挨拶程度のメッセージにも関わらず、聞いてもいないラインIDを送ってくる男性もいた。

どんだけ自分に自信あんねん!と、驚きのあまり、関西人でも無いのに関西風のツッコみをしてしまった。

当然、このような方々も既読スルーとした。

これらの事象は一定数発生したので、おそらくマッチングアプリあるあるなのだろう。

⑤に続く

マッチングアプリを利用してみた③

精神の疲弊

男性から、プロフィール写真を見て興味を持ってもらえるということは、まんざらでもない。

しかしだ。

届いたメール全部に目を通し、返信するのは意外に時間がかかり、かつ精神的にも消耗されると感じた。

その一端は自ら作り上げた偽りの職業にあった。

退会

「小さな会社で経理や総務のアシスタント」という嘘の立場を明かしたメールに対して、当然、相手からも返信があり、私がそのような仕事をしている人という前提でのメールのラリーとなっている。

見ず知らずの相手とはいえ、嘘をつき続けるのがいたたまれなくなり、登録した翌日には結局退会してしまった。

偽りのないプロフィール

このように、嘘は精神衛生上よくないと身をもって体験した。

この経験を元に新たなマッチングアプリに登録し、無職であることを正直に明かすことにした。

求職中の身であり、経理・総務のアシスタント経験がある旨を明記し、仕事の依頼があれば喜んでという具合でプロフィールの作成をした。

パラドックス

流石に無職の女性に興味のある男性は少ないだろうと思っていたが、蓋を開けてみたところ、意外にも無職を労ってくれるありがたいメッセージが届くではないか。

その反面、無職の女のどこがいいんだ??と、届いたメッセージにツッコむという、矛盾した思いが交錯していた。

正直であることの健全性

正直であるというのは、人の美徳の一つに数えられることも多いが、正直さというのは、本人にとって精神的に健康でいられるというところにかかってくるのではないのだろうか。

そんなわけで前述のマッチングアプリで抱えていた後ろめたさは無くなった。

④に続く

マッチングアプリを利用してみた②

マッチングアプリのプロフィール

マッチングアプリのプロフィール作成は、企業へ送る履歴書作成や派遣会社登録時に入力する入力フォームとほぼ同様と考えて間違いないと思う。

この辺りが就職と結婚は似ていると言われるゆえんだなと勝手に納得する。

登録する際のメールアドレスを入力し登録するや否や、プロフィールを入力するためのURLが送られてくる。プロフィール作成はそこからだ。

履歴書と異なる点は、容姿についての項目が妙に多いという点だ。

たとえジョセリン・ウィルデンシュタイン(整形で有名なセレブ)みたいな容姿だったとしても、可愛い系と思えば可愛い系という自己申告制で容姿を決めていく手法で黙々とカテゴライズをしていく。

職業の項目にて

こうして無難なプロフィールを作りつつ、私が心ならずもついてしまった小さな嘘。

それは職業である。実は失業中の身。

見栄を張って、以前の職業「会社員」としてしまったのだ。

プロフィール公開

プロフィールを公開すると、意外な程「いいね!」をされメッセージが届いた。これは正直言って、嬉しいものであった。

就活ではどの企業も門前払いされたが、人間、どこかしらに需要があるとわかると、嬉しいものだ。

これもある種の承認欲求というやつか。

偽りの職業に苦しむ自分

ところがである。

蓮舫議員と違い、嘘をつくことに慣れてない私は、のっけから自分の嘘に苦しめられることとなる。男性側も、お相手がどのような職業か気になるのだろう。

「自分は営業部ですが、お仕事は何系ですか?」

「自分は金融系ですが、どんな会社にお勤めなんですか?」

等々が初っ端のメッセージに入っている。

仕方なく、以前の職業をあたかも現在続けているという体で返信した。

「小さな会社で、経理や総務のアシスタントをしています」と現在形で返信しては心が痛くなったのである。

また、コロナの影響でテレワーク推進されるさなか、「テレワークとなったんですか?」等々の質問も頂いた。

こうして絞り出す嘘でどんどん辛くなり、届いたメールを数日放置した後、いたたまれなくなった結果、わずか数日で退会してしまったのである。

③へ続く

マッチングアプリを利用してみた①

私は恋愛に不向きな人間だとなんとなく感じており、恋愛や結婚については諦めようと努めていた。しかし、物寂しく感じる夜もある。

特に新型コロナの影響により転職活動を中断しなければならず、精神的にも気の迷いが生じ、マッチングアプリへの登録と相成ったわけだ。

マッチングアプリ登録までの道程

①転職活動

世の中にふんわりと自粛ムードが漂ってきたのは2月頃からだったと思う。

とはいえ、新宿ゴールデン街にはまだまだインバウンド客であふれており、飲み屋のカウンターで隣になった外国人観光客と、日本で何処に行きたいかとか、何処に行ってきたのか、などと呑気な世間話をしていた。

厚生労働省が新型コロナウィルス感染拡大を防ぐため、イベント等の開催を検討して欲しいという通達を出したのは2月20日だった。

私は3月に和食店に転職したが、団体予約の多くがキャンセルとなった。

コロナ騒動とは別で私はこの店と合わなかったので、3月の下旬に退職してしまったのであるが、この後4月に入り、営業自粛の名の下、都内の全飲食店は20時までの営業要請が政府から出た。

私は早急に転職をすべくハローワークにて失業申請をし、転職活動にいそしんだ。

ところがだ。求人募集をかけているものの、採用は保留としている企業が目立った。

わらをもすがる思いで派遣会社に登録し、希望する会社への応募を積極的に行ったものの、こちらものれんに腕押し≒新規採用見合わせ、または保留という状態であった。

私はひたすら求人に応募し、応募要項に沿って応募書類を黙々と作成した。原本が必要であればコンビニで印刷した応募書類を郵送し、Eメールでの応募可能案件については作成した書類をPDFにし、添付書類として送信した。

しかし、書類選考に落ちたとお祈りメッセージが届くのはよい方で、何の音沙汰もなくただただ時間だけが過ぎていった。

②婚活ブロガーの記事

いつものようにブログパトロールをしていると、2年位前からチェックしている婚活ブログが目に留まった。

この方は女性ブロガーで、長年婚活をしているのであるがなかなか良縁が無く、しかし、諦めることもなく黙々と婚活にいそしんでいる、骨のある女性であった。

そんな彼女に良縁があり、ようやく結婚を前提にお付き合いできる人がみつかったのだ。

③マッチングアプリに登録

この女性ブロガーは独身である事の証明が必要な書類の提出を求められるお見合いサイトから、緩めのマッチングアプリまで幅広く活動しておられるようだった。

しかし、お付き合いが決まったお相手はそれらのサイトを経由して知り合った方では無かった。とはいえ、マッチングアプリを通じてお見合いを多数経験しておられ、これらをきっかけに知り合う事に肯定的であった。

彼女のブログにはそれらマッチングアプリやお見合いサイトのリンクがあり、これも就職活動の一環と私はリンク先のサイトへ飛んだ。

④マッチングアプリ登録後

女性は無料のアプリが多く、登録しても何も支払の発生は無かったが、登録時点で私はある失敗をしていたことに、数時間後に気付くことになった。

②へ続く

新型コロナウィルスによる非常事態宣言が2週間を超え、落語教室について思い出したこと④

初天神のポイントは以下であると考えられる。

初天神の舞台

①自宅にて

「初天神」は、まずは自宅にて夫婦の会話から始まり、そこに息子が加わる。

自宅:夫婦の会話(新しい羽織をこしらえたから着たいのでは?)

自宅:息子と父の会話(新しい羽織をこしらえたから着たいのでは?)

息子が妻と同じことを言っている事の妙がよいのだ。

初天神へ連れて行くこととなるが、言う事を聞かないとお仕置きに川へ放り込むと息子を脅すが、その脅しに屈しない息子。

自宅では、偉そうにしている夫であるが、新しい羽織を着たいんだろ、と妻にからかわれ、息子にからかわれ、お仕置きについても結局は息子にやりこめられてしまう、人のよい、愛すべき父なのだ。妻は妻で、夫をからかいつつ、ちゃんと羽織は取ってきて、結構よい妻であると考えられる。

②天神様への道中

息子の「いい子」先制攻撃に「駄々をこねないという約束」にて善戦する父。

このくだりも、自宅にて妻との会話の中で、駄々をこねるから嫌だと伏線が張られていた。息子との過去のやりとりを詳細に説明しており、ここで回収している。

③団子屋にて

息子に屈し、団子を買う事になった父。あんこと蜜は蜜がべたべたすると着物が汚れると団子屋に説明しあんこを頼むが、息子は蜜がいいと駄々をこねる。

蜜でベタベタにしないようにと、団子を受け取った父は蜜を舐めあげた後、息子に渡し、団子の意味がなくなってしまう。

この父親の見当違いの優しさ、その見当違いの優しさを素直に否定する息子の妙がよい。

団子屋を言いくるめ、蜜の入った壺に二度漬けする父。

蜜がたっぷりとついた団子を受け取り、行き過ぎた父の行動力に感心した息子は、父の真似をして団子を舐めまわした挙句、蜜の入った壺に再度団子を入れようと試みるも、親子を追い出す団子屋のまともさ。いい話だ。

④団子屋を後にして

飴屋のくだりもあるが、尺が長いので、私は割愛した。ほぼほぼ団子屋と同じようなやりとりが店の主人と親子の間で繰り広げられる。

⑤凧屋にて

息子は凧屋をみつけ、凧が欲しいと言いす。ここも団子屋と似たようなくだりだが、すでに駄々は団子屋でこねており、ここでは割とあっさりと父は息子の要求に屈している。

ここで息子は店先の大きな凧を欲しがるが、父親は「あれは店の看板だから」と他の凧(おそらく小さめの凧)を買うように促すが、店主はあっさり「売り物ですよ」と言い、大きな凧を買う羽目になる。

また、凧屋が息子に父親へのおねだり方法を伝授しているのであるが、そのおねだり方法が、道端にできた水たまりに背中をつけ、手足をバタバタさせて「おとっつあん、凧買って~」という手法で、その勝算については不明である。

⑥広場で凧あげ

凧を買った後、天神様のお参りへと急ぐが、息子は凧あげをしたいと言い出す。

しょうがない、付き合うよと凧あげすることに。凧を持たせ、遠くに行くようにと父親は息子に指示を出す。それに従う息子。

遊びにもかかわらず、本気度の高い父親は真剣に凧あげを決行。

そして、凧の紐を息子になかなか渡さない。

しびれを切らした息子が「おとっつあんなか連れてこなきゃよかった」

元々は嫌がる父親に連れて行ってくれとせがんだのは息子であるし、団子や凧を買ってもらったのも彼の手柄である。

しかし、最後は凧あげしたいと言い出した息子であるが、最終的に遊んでいるのは父親だ。息子に負かされっぱなしの父の最後の勝利なのである。

新型コロナウィルスによる営業自粛制限が自粛の域を超えてきている傍ら、思い出したこと①

政府の非常事態宣言から2週間が過ぎた。

北海道の大樹町では民間の宇宙開発会社が行政からロケット打ち上げ停止の要請を受けたそうだ。大阪府は営業を自粛しないパチンコ店を公表した。私は薄気味の悪さを感じた。

この気味悪さを私は何度か経験している。

1995年・地下鉄サリン事件

最初に気が付いたのは、1995年の地下鉄サリン事件だ。新興宗教、オウム真理教が起こした同時多発テロであった。オウム真理教がこの事件を含む、多数の殺人事件に関与していた事件を、世間が震撼したし、私も恐ろしいを事件だと感じた。が、それを裁くのは裁判所であって、また、非難すべきはこれら事件に関することである。しかし、事件とは関係のないところまでむやみにバッシングを繰り返す報道に気持ち悪さを感じた。

その後、私はテレビを観ない生活を送るようになったので、平穏な生活が続いた。その間、インターネットは普及し、テレビや新聞から情報を得る必要がほとんど無くなっていった。

2005年頃、私は一時的に部屋を間借りする生活を送ることになって、再び私の日常にテレビが入り込むことになった。間借りしていた家での主な情報源がテレビであった上、私の借りていた部屋にはインターネットの接続環境が無かった。

2006年・ライブドア事件

この頃、メディアはしきりにライブドアを叩いていた。ライブドアはフジテレビの株式を持つニッポン放送を買収しようとしたり、プロ野球チームの球団買収をしようとしたり、いずれもかなわなかったものの、何かと話題になっている会社であった。

また、この会社の経営者も型破りな人物であった。スーツもネクタイもしておらず、Tシャツにジーンズを着た若い男性であった。そのような出で立ちの人物は、会社の経営の傍ら衆議院選挙に立候補し落選したりと、話題に事欠かない堀江貴文氏であった。

その後、彼はライブドア社の粉飾決算等々の罪状で有罪判決となり服役することなるが、過去の粉飾決済事件を鑑みても重い判決であったし、彼に対する報道やバッシングにも釈然としないものがあり、気味悪さを感じていた。

細木数子の出現

同時期、テレビを席巻していたのは顔の大きな年配の女性占い師、細木数子氏であった。叱り飛ばすような強い口調で相手を罵る姿に辟易した私は、テレビを見るのを諦めた。

そうしているうちに、ツイッターやらインスタグラムやらのSNSが影響力を増していった。Youtubeで動画配信サービスが一般的になっていった。

続く