10代の頃、私はフランスにかぶれていた。フランス映画や、当時購読していた雑誌の影響もあった。2本か3本くらいのフランス映画しか当時は観ていなかったのであるが、それでもかぶれさせる程、フランス映画の威力は絶大だった。1986年に公開された「ベティ・ブルー」や1960年に公開された「地下鉄のザジ」を、高校生だった私は当時主流だったレンタル・ビデオを借りて観ては悦に入っていた。1990年代、マガジンハウスが発行していたファッション誌「オリーブ」ではフランス人デザイナー、アニエス・ベーの商品が幾度となく掲載され、フランスの既製服メーカー、セントジェームズの縞模様のTシャツは憧れの対象であった。私は「オリーブ」のお洒落フィルターからろ過されたお洒落フランス情報を観たり聞いたりしては悦に入っていた。そんな高校時代を経て、すっかり初老となり、映画館で映画を観るようになってからも、フランス映画を観に行く、となると胸に熱いものを感じる。
今日はおそらく25年ぶり位に巨匠ゴダールの名作「勝手にしやがれ」を観た。「勝手にしやがれ」の為に不慣れな土地、大田区にあるキネマ大森まで映画遠征に行ってきた。主演のジーン・セバーグの潔いショートカットのキュートの破壊力といったら。というか、私は二十歳そこそこの時に「勝手にしやがれ」を観た後、すぐに眠りに入り、この映画を観ている瞬間に目覚めたのではないか?と思う程、新鮮な思いで観た。ついこの前、この格好よさを観て、今日は大きなスクリーンでまた観ている!という感じなのだ。主演のジャン・ポール・ベルモントはハリウッド的なハンサムとは違う、得も言われぬ恰好よさがあった。そして、良い映画を観て毎回思うのは、良い作品にストーリーなんてどうでもよいということだ。
主人公、ミシェルが盗難車で逃走中に警官を殺めてしまい、パリでも自動車泥棒をしながらガールフレンドのパトリシアと右往左往するうち、警察に追い詰められてしまうというストーリーだ。ミシェルの行き当たりばったりで自動車泥棒を繰り返す傍若無人ぶりや、ミシェルに振り回されているようでミシェルを振り回している、一本筋の通ったパトリシアは観ていて清々しいキャラクターであった。そしてなんといってもこの作品の大きな魅力は彼らのファッションだろう。ミシェルはツイードのブレザーに左手には大振りのブレスレット、ボルサリーノ風の帽子を身にまとっていた。ブレザーのボタンは正装に慣れてないという設定なのか、前ボタンがふたつとも留められていた。パトリシアは新聞売りのアルバイト中は新聞社ロゴの入ったTシャツに細身のパンツ、フラットシューズ、デートにはボーダーシャツにプリーツスカート、襟を立てたバルマカーンコート、取材に行く時に来ていたストライプの膝丈ドレスにハイヒールはどれも満点のキュートさであった。
いかん。初老だけどお洒落しなければ。いや、初老だからこそお洒落しなければ。