続・エレベーターの話

 昨日、エレベーターに思いを馳せたついでに、蛭子能収の珠玉の名作を集めた漫画作品「地獄に落ちた教師ども」に収録された、エレベーターが効果的に出てくる作品を思い出した。

 多感な十代の頃、私はガロという漫画雑誌に魅せられ、いわゆるガロ漫画家の作品を愛でていた。そのうちの一人が蛭子能収であった。その頃からテレビタレントとして人の好さげな中年男性といった立ち位置であったが、その実、漫画作品の方は非常に過激であった。

 ぱっとしない中年男性が主人公で、主人公が突如怒りに身を任せ人を殺めているような作品が大半であった。そのような作品の中で、タイトルは覚えていないが、エレベーターの出てくる印象的な話があった。主人公である父親を訪ねて父の職場までやってきた息子が一緒に帰宅する際、会社のエレベーターに乗り込んだ。父親が息子にエレベーターのボタンを押したのかと尋ねると、一番下のボタンを押したと答えた。父親はその答えに愕然とした。何故ならそのエレベーターの一番下のボタンは地獄行のボタンだったからだ。

 影響されやすい私は、この作品を読んでしばらくの間、毎回エレベーターに乗ると一番下のボタンを確認していた。未だに時々、エレベーターに乗り込むと、「地獄」のボタンは無いのだな、とぼんやりと思う。

悲しきエレベーター

 多くの人がそうであるように、私は極端に裕福でもなく、極端に貧困でもない家庭で育った。いや、貧しい家庭だったのかもしれないが、私の育った地域では皆、どこかに貧しさがあったように思う。軒先では発泡スチロールの中に花が植えられていたりだとか、そんな具合だった。しかし、それが当たり前だったので、貧しいだとか、裕福だとか、そんなことにあまり気を配ったことが無かった。1970年代の地方にある田舎の小さな町はどこのそんな風だったのだろうか。誰の土地ともわからない、雑草だらけの空き地があちこちにあり、秋になるとセイタカアワダチソウの嫌な黄色で覆われた。

 私の住んでいた地域には高い建物がほとんど無く、5階建てくらいのマンションが唯一ある程度だった。小学生の頃、クラスメイトがそのマンションに住んでおり、彼女の家を訪ねた事があった。彼女の家は4階にあったか5階にあったか、記憶は定かでは無い。

 その日、彼女を訪ねようとマンションに行くと、エレベーターの扉が開いていた。私は何も考えず、エレベーターに乗り込むと扉の横に並んだ多くのボタンに面食らってしまった。数字の書かれたボタンが縦に並んでおり、その下には漢字で書かれたボタンがあった。私は、わからなかった。エレベーターに乗ると、上や下に行けるのは知っていた。しかし、どのボタンを押せばよいのか、私にはわからなかったのだ。壁に貼りついたボタンを私が押してよいものかどうかすらもわからなかった。恐ろしくなった私は急いでエレベータから飛び出し、階段を駆け上がった。

 その後、私はクラスメイトに会えたのかどうかは覚えていない。ただ、エレベーターの恐ろしさや丸いボタンの存在感だけを覚えている。

オーバーホール

 私は分不相応な時計を2つ持っている。ひとつはカルティエのパンテールで、もうひとつはエルメスのHウォッチだ。

 私は常々、自分の住む家の家賃よりも高い値段のバッグや服を持つなんて馬鹿げていると考えている。時計にしても、むやみに高級な時計をするのは品が無いと思っている。かくして品の無い私は高級時計を持っている。

 いずれも二十代の頃に手に入れたものなので、かれこれ20年以上も所有していることになる。カルティエは10年程前に時間の進み具合が遅くなってしまい、当時住んでいた街のデパート内にあった時計修理のコーナーに持って行ったが、そこではカルティエのオーバーホールは受け付けておらず、カルティエに送って修理を行うとのことで、ものすごく時間が掛かるのと、料金がどのくらいかかるのかも不明であった。貧乏性の私は、エルメスの時計が動いていたので、それ以来、カルティエの時計は放置していた。

 しかし、この度、エルメスの時計の時が進む速度が遅くなってしまった。嫌な予感がし、まずはミスターミニットに持って行った。そこではエルメスなどの高級時計は店頭では電池交換をしてくれず、工場で電池を替えるだけで10日もかかると言われてしまった。また、購入以来、オーバーホールをしていないことを伝えると、オーバーホールの重要性を教えてくれたものの、ミスターミニットでは料金が不明で、オーバーホール完了後に代金を請求で、かつ金額はおそらく3万円は超えるだろうとのことだった。

 そこでネットで調べるとどうやら中央区内に高級時計の電池交換とオーバーホールを行う「ウォッチ・ホスピタル」という店があることがわかり、先週、電池の交換に行った。電池の交換程度なら、その店は店頭で行ってくれるのだが、私の時計は自分の皮脂のせいで、文字盤の裏にある蓋のネジを外してもピッタリとくっついて、蓋はビクともせず、1週間預けることにした。1週間後、取りに行き、ついでに10年程使ってなかったカルティエの時計もオーバーホールしてもらうべく、持参した。

 久々にカルティエのパンテールを手に取り、時を刻まない時計を眺めたが、やはり美しい時計だなと思った。ステンレス製で小振りのスクエアの文字盤は私の小さな腕に馴染みがよいのだ。私はなんとなく角ばったの文字盤に惹かれる傾向があるようで、パンテールもHウォッチもスクエアの文字盤だ。せめて現在所有している美しい時計に見合う人間になるべく、精進します。もうすぐ無職になるけど。

銀座線

 滅多に乗らない銀座線に乗った。銀座線に乗るたびに思うことは、地上から近いな、ということだ。私がいつも乗っている大江戸線や半蔵門線は比較的新しい地下鉄路線で、既に通っている路線と同じ位置での掘削ができないせいか、地中深くトンネルが掘られている。

 銀座線は日本で最初に完成した地下鉄路線で、ウィキペディアによると、開通が1927年だ。完成当時は東京の人口がこんなにも膨れ上がると考えていなかったのだろう、駅のホームやら、地上出口までの通路やらが狭い。念のため、ネットで調べてみると、1927年の東京都の人口は4,897,400人となっている。2019年は13,953,744人なので、約100年程の間に3倍近い人口の増加だ。とはいえ、現役で都民の足として活躍している。今日は日本橋から田原町まで乗車した。東京の地下鉄のよいところは、電車がホームに近づくと、各駅に由来するようなオルゴールの音色のようなシンプルな曲が構内に流れるところだ。特に古い路線の銀座線の各駅はなつかしの歌謡曲のような曲が流れており、なんとなく和む。

 便利なので地下鉄はよく使っているが、実は私は地下鉄というものがあまり好きではない。地中深くに潜り、閉鎖された空間にいるという感じがあまり好きではないのだ。しかし、銀座線だとそんなに不快ではないのだ。ホームの天井も低いのであるが、なんもと言えない可愛らしさが勝るのだ。

 銀座線、次に乗るのを楽しみにしようと思う。

東京トラップ

 久々に東京トラップに引っ掛かってしまった。私は電車の乗り継ぎが上手くいかないことを東京トラップと呼んでいる。特に新宿や浅草で起こりやすい。何故か?それは新宿と名の付く駅が多数存在しているからだ。中でも「西新宿駅」と「新宿西口駅」は紛らわしい。浅草は「浅草」駅と「浅草橋」駅で間違ってしまう。

 私は滅多に乗らない浅草線に乗り、浅草駅で下車しなければならないところを、浅草橋で降りてしまった。本来であれば東武スカイツリーラインに乗り換えなければならないのであるが、駅を出ても東武線の標識もないし、スマホの表示する地図とは様子が随分違っていた。私は険しい顔でスマホと駅の名前を見比べ、「浅草」と「浅草橋」の違いにやっと気付いた。

 自らの過ちは本当に腹立たしい。私は眉間にしわを寄せたまま首を横に振り振り、仕方なく浅草橋駅のホームに戻り、二駅先の浅草駅へと急いだ。この時間、私は既に予定の場所へ到着している頃だった。滅多に乗らない電車で見知らぬ所へ行くのは心細い。その上、電車から見える風景には見慣れた高層ビルなど無い。少しづつ都心から離れていき、それも私の心を不安にさせた。東京タワーの切れ端が見え、白々しい高層ビルに見下ろされた粗末な自分の部屋を恋しく感じた。こんな辺鄙なところに来るんじゃなかった、とさえ思った…と言っても、都心からそう離れていない墨田区の曳船というところに私は来ていた。都心から30分程のところだが、下町感満載の地域であった。狭い路地に戸建ての家がひしめいている地域だった。

 この東京感ゼロの場所に、私は落語を聞きにきていた。東京のよいところは触れたいと思う文化にすぐに触れられるところだと思う。映像ではなく、目の前で噺家の繰り広げる落語は本当に素晴らしい。しかもそれが1500円という破格の金額で観られるのだ。なんて素晴らしい。東京トラップによる遅刻で演目を一つ見逃してしまったが、それでも2席も観る事が出来たのでよしとしよう。

 浅草橋、もう私はひっかからないぞ!!

Quit

I have decided to quit my job by the end of this year.

I’ll be patient to work till then.

It was a bad idea to keep working after I noticed this was not my cup of tea.

岬の兄妹

東京の地下鉄は電車内の扉の上に液晶画面を埋め込んでおり、そこには広告動画が澱みなく動いている。

最近、ノートパソコン富士通のコマーシャル動画で既視感のある男性がいたので注意深く見ると、今年の夏に観たインディペンデント系の映画作品の主人公を演じた松浦祐也という俳優であった。「岬の兄妹」という邦画作品で、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督並の、労働者階級の人たちに焦点をあてた作品だった。

足に障害を持つ兄と、自閉症の妹が、生活の為に兄が妹の売春斡旋をするという何とも救えないストーリーだった。が、よい映画にとってストーリーなど割とどうでもよいものだと私は常々思っている。作品全体に漂う陰影の中にもコメディのエッセンスが混じっており、何と言うか、陰鬱なシチュエーションであっても不快にはならず、笑えるシーンがいくつもあった。

興味深かったのは売春を始める前の食うや食わずの極貧の生活から、売春が軌道にのって増えた収入により、兄妹二人の顔に余裕が表情が生まれたことだ。

ケン・ローチの作品にも言えることだが、実は裏テーマがあると感じており、裏テーマというのは情報弱者だとこうなってしまうよ、という戒めではないか思う。私だって何かの拍子に仕事を失い収入を失うということがあるかもしれない。そうなれば私は迷わず行政機関に助けを求め、生活保護を受けるだろう。しかし、この兄妹はそのような事をしないのだ。

明日は我が身、と思いつつ、よい作品を劇場で観て大満足の1作であった。

No TV, Yes Life.

私は26歳の頃からテレビを持っていない。

その頃、私は既にテレビを見ない生活を送っていたので、家にあったテレビは埃をかぶっていた。

引越しをすることになり、私はテレビを捨てた。それは全く正しい決断であり、今後もテレビを持つことはないだろう。何故、正しい決断であったと思うかというと、

1.テレビやDVDなどの関連機器に金を使う必要が無くなった。

2.粗悪なテレビ番組に時間の邪魔をされない。

3.テレビなどに部屋のスペースを占領されない。

4.電気代が安くなった。

私は今でもお気に入りのテレビ番組があるが、それらの番組はインターネットでも視聴できる。

しかし、実際にテレビを持たなくなった大きな理由は、私がテレビを諦めたことにある。

ある日、私は友人宅を訪れると、テレビがついていた。

テレビの中では年配の占い師がお喋りしていた。彼女の話し方は下品で私は気分が悪くなった。その不快感が私の脳裏にしばらく残っていた。

その時、私は何故気分が悪くなったのかよくわからなかった。

後日、テレビを視聴する機会が再びやってきた。テレビの中で人々がお喋りしていたのであるが、やはり私は先日の占い師を見た時と同じような不快感をおぼえた。

私は何故このように不快さを感じているのかわからなかったが、テレビの出演者が品の無い話し方をしていると、私は決まって気分が悪くなると気が付いた。その上、その不快感は3,4日続くのだ。テレビが私に悪影響を及ぼしており、これはよくないとの結論に至った。

それから私はテレビを持つのを諦めた。

108~海馬五郎の復讐と冒険~

 松尾スズキの監督作品を15年振りに観た。2004年の彼の初監督作品、「恋の門」以来だ。その間、「クワイエットルームにようこそ」などの作品も観たといえば観たが、映画館で観てないので鑑賞数にはカウントしてない。

 この作品は18歳未満は観てはいけないコメディ映画だ。何故18歳未満のちびっ子が観てはならないかというと、観ても作品の面白さが理解できないからだ。というのは半分冗談で半分本当だ。下ネタ満載のコメディなのだが、下ネタを笑える知性が研鑽されるのは18歳以降だろう。

 妻(中山美穂)が不倫していることをSNSを通じて知った主人公(松尾スズキ)。離婚を決意するも財産分与で資産の半分を妻に支払わなければならないと知り、資産を使い果たす為に企てた妻への復讐の顛末、というストーリーだ。家族や友人、風俗嬢を巻き込んで繰り広げられる下ネタにつぐ下ネタは圧巻であった。

 週末にわざわざ松尾スズキ監督作品を劇場で観るという観客であるから、当然知的な観客しか来場していなかったため、上映中は随所で笑いが起きていた。映画館で声を出して笑う、というのはとても幸せな事だと思う。