新宿眼科画廊へ行ってみた

2014年、自称芸術家が逮捕されたというニュースが飛び込んできた。女性器の3Dデータを知人男性に送ったことが、わいせつ物頒布等の罪となった。

その時、「自称芸術家」という意味不明の肩書が面白いと思った程度で、私は芸術としての女性器に思い入れも無かったので、そんな事件があったことなど忘れていた。

それから6年経った2020年の今年、私は自称芸術家「ろくでなし子」を再び目にした。6年の間、彼女は外国人ミュージシャンと国際結婚し、出産し、控訴していた。

彼女は真の意味でのフェミニストであることを知った。彼女の主張は一貫性があり、非常に好感が持てた。

私は1年程前に流行した「Kutoo運動」なる、ハイヒールに代表されるような服装規定を女性に課すことを問題視したフェミニスト達の活動を冷ややかに見ていた。

元々はハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによるセクシャル・ハラスメントを告発する際に「MeToo運動」として被害女優達が賛同し、その結果、大物プロデューサーは逮捕されるに至った。

しかし、「KuToo運動」はどう考えてもそれを劣化させていた。靴と苦痛をかけた駄洒落はデーブ・スペクター的センスのキャッチコピーであった。

話を戻そう。真のフェミニスト・ろくでなし子である。

彼女の作品が7月22日まで、新宿眼科画廊「バースト・ジェネレーション:死とSEX」展で展示されているというので山手線を半周し、はるばる新宿まで行ってきたのである。

彼女の「MANKO」というキャラクターは女性器を簡略化させたサッパリしたデザインで、クマモンと同じく凡庸なキュートさがあった。

MANKOのロゴはどこかで見たことのあるような丸っこいフォントのロゴで、既存の玩具メーカーを踏襲しており、そのセンスもよいと感じた。MANKOはサンリオのドル箱キャラ「ハロー・キティ」のおもちゃの家の中で、同じくキュートで凡庸な警官人形とリビングでくつろいでいる。

キティちゃんの家の横は交番にも見える建物があり、鉄格子の中にMANKOがたたずんていたりとなかなか示唆に富んだ作品であった。

芸術家・ろくでなし子の作品の隣にはガロ系漫画家である根本敬の奇妙な作品が展示されていた。美しくない容姿の男女の半裸の写真であるとかだ。

根本敬は私がガロを愛読していた1990年代後半、「特殊漫画家」として活躍しており、醜い中年男性が主人公の救えない話ばかりの作品に惹かれた事を思い出した。美しい男女が恋をしたり、恋を失ったりする漫画に溢れている中、リアリズムを表現した根本敬に共感した。

「鬼畜悪趣味カルチャーの先駆者」という紹介にも、私は「なるほど」とうなずいた。

他の作家の作品も様々で、朽ち果てた遺体の写真や、人間の皮膚に直接つりばりのようなものを打ち込み体を吊り上げている写真に、思わず一歩、後ずさりしてしまう衝撃作品の数々であった。

私が最初に買ったのは他のバージョンの「生きる」でした。

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